LECTURE185 2018 January
【インタビュー】
タイムアウト東京 取締役副社長 東谷彰子さん
可能性信じてチャレンジ 世界とつながる仕事実現
独自の視点で世界各国の文化やサービスを取り上げ、情報発信するメディア「タイムアウト」。東谷彰子さんは東京版を編集するタイムアウト東京の取締役副社長を務める。「世界とつながる仕事がしたい」と安定していたFMラジオ局を飛び出して8年。子育てをしながら可能性を信じて走ってきた。リスクをとることで輝きを手に入れた東谷さんにチャレンジする生き方の意義を聞いた。
男女の役割入れ替える体験 多様性受け入れる素地に
物心がついたころには父の仕事の関係でマニラにいました。その後、日本に帰国し、中学2年のとき再び父親の仕事でバンコクに移住しました。ここで過ごした約6年間がその後の人生に大きく影響しています。
通学していたインターナショナルスクールは本当に様々な学生の集まりでした。多様性を楽しむイベントも多く、個々の学生を多方面から評価する仕組みも充実していました。 例えば「ジェンダー・ベンダー・デー」という催しがあります。女性が男性に、男性が女性になり替わって登校し、自分にはないものや役割を体験するのです。当時は特別なこととは考えていませんでしたが、振り返ってみると恵まれた環境だったと思います。 というのも今の生活を考えるとこの体験が生きているのがわかるからです。タイムアウト東京のオフィスには日本のほか、フィンランド、オランダ、マレーシア、カナダなど多くの国・地域からスタッフが集まっています。おのおのが違った文化のなかで育ってきたわけですから習慣もおのずと異なります。
年末のクリスマス休暇や正月休み取得の仕方一つとっても、時期や期間で文化や習慣の違いが表れます。多国籍なスタッフが集う職場では、小さな違いが思わぬ摩擦を生むかもしれません。でも他者の立場になって考えてみるインターナショナルスクールでの経験が、こうした違いを自然に受け入れ、理解できる素地になっています。 今の仕事に就くまでは10年ほど、東京のFMラジオ局に勤めていました。1年目は秘書部に配属され、その後制作部門に異動、ディレクターとしてひたすら日々の番組をつくる仕事に打ち込みました。 主に早朝のニュース番組を6年間担当しましたが、ここで出会ったのがマイク1本を手に街に飛び出して聞く様々なひとの話です。ニュースに対する多角的な見方や意見を集め、構成を練って一つの番組につくり上げていくという経験が、手段や方法は違いますがインタビューや取材を基にメディアをつくる今の仕事に大いに役立っています。
友人の多くが反対 転職で大きな可能性実感
とはいえ、転職する考えを友人に告げたときはほぼ全員が反対しました。「新しいメディアをつくる? 安定した仕事と生活があるのに今さらなぜ?」というわけです。確かにラジオの仕事は面白く、やりがいもあったのですが、内容は国内や地域の話題が中心。一方、自分には「世界とつながる仕事がしたい」という強い願望がありました。その思いが転職に踏み切る私の背中を押したのです。
この判断が間違っていなかったことはすぐにわかりました。タイムアウトグループでは年1回、世界108都市のタイムアウトを展開するエディターやパブリッシャーが集まる会議を開きます。2010年、パレスチナ自治区に向かっていた国際的な支援船団をイスラエル軍が拿捕(だほ)した事件を巡ってイスラエルとトルコの間で緊張が高まっていた時期です。 テルアビブとイスタンブールから来た編集者の関係も気まずくなるかなと心配しました。しかし、そうはならず、「手記を交換し合おう」という話がまとまったのです。国家間では緊張があっても個人のつながりは別、という考え方です。タイムアウトは都市紹介が中心のシティガイドですが、その役割にとどまらず「世界を相手にそれ以上の何かができる」という大きな可能性を感じた瞬間でした。
タイムアウト東京はオンラインで展開するとともに、英語版のマガジンも発行しています。発行部数は8万部。年4回、季刊形式で主に訪日外国人を対象に都内約600カ所で無料配布し、デジタル版を加えると9万部になります。紙面を参考に色々な所に積極的に出かけてほしい、というのが基本的な編集方針で「1000円以下で楽しめる食事」「東京ナイトライフ」「世界が驚く日本のカルチャー百選」といったテーマを取り上げています。 一方、海外のメディアが日本発のニュースを流すのは何か特殊で際立った出来事があったときです。そうではなく東京や日本の情報が世界に向けて自然に発信されるような状況をつくりたいと考えています。海外の人たちにとって「トーキョー」はいつか行ってみたいドリームデスティネーション(夢の目的地)。日々身近に情報があることでこうした希望をかなえるお手伝いができるはずです。
昨年3月には日本経済新聞社クロスメディア営業局と共同で「OPEN TOKYO」をテーマにしたマガジンを創刊しました。「OPEN TOKYO」とは障がい者、高齢者、子ども、子どもを育てる親、LGBT、外国人、マイノリティーを含むすべての人々が楽しめる都市・東京を実現するためのムーブメント。マガジンを通じて、東京のあらゆるバリアーを取り払い、多様性を受け入れる社会づくりの重要性を発信しています。
動けば状況は変化 ルールに縛られず一歩踏み出す
仕事をしながら6年子育てもしてきました。「子どもと一緒にいる時間が大切」という声はよく聞きますが私はむしろ「一緒にいる時間を密にする」ことを大切にしています。共に過ごす時間の長さより質を高めることを心がけています。 休日はできるだけ息子と一緒に出かけ、月に一度は旅行をします。色々な職業や国籍のひとに触れ合う機会もつくっています。小さいころの記憶はすべてが残るわけではない、ならばできるだけインパクトのある思い出づくりがしたい、と考えたからです。
転職から子育てまで、たちまち時間が過ぎました。くじけそうになったこともありますが周囲に転職のリスクを恐れずにやりたいことを実現しているひとが多かったことも励みになりました。リスクをとることで輝いている友人がお手本になったのです。自分がやりたいことを信じてチャレンジした結果、大切なものが手に入ったと思っています。
私は趣味でフルマラソンをしていました。42・195㌔㍍を走るなか、20㌔、30㌔地点では全然景色が変わらない、という経験をよくしました。「苦しい状態がいつまで続くのだろう」と思いながら走るのですが、やがてゴールが近づき風景も変わってきます。 仕事で閉塞感を感じたとき、自分が動くことで状況は変化します。環境やルールに縛られずに一歩踏み出してみると生きやすくなるかもしれない、という前向きな姿勢で日々過ごすことが大切だと思います。
東谷彰子(とうや・あきこ)さん
タイムアウト東京 取締役副社長
1977年生まれ。幼少期はマニラで、中学高校はバンコクで過ごす。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。エフエム東京入社。2010年1月、タイムアウト東京へ。コンテンツディレクターとして、取材、執筆、編集、企業とのタイアップ企画や営業など幅広い分野で活躍。