日本経済新聞 関連サイト

特集/企画

丸キャリロゴ

LECTURE204 2019 November

丸の内キャリア塾とは、キャリアデザインを考える女性のための実践的学習講座です。毎回、キャリアやライフプランに必要な考え方と行動について多面的に特集しています。

【インタビュー】

原点は「変化を楽しむ」
伝統を生かした商品企画

日本の伝統文化と先端技術を生かした商品の企画・販売で活躍する鶴本晶子さん。「日本のものづくりの発展に奔走」している鶴本さんに、仕事を円滑に進めるために大切にしていることや今後の目標などを聞いた。

鶴本晶子さん

ブランドプロデューサー
鶴本 晶子(つるもと・しょうこ)さん

女子美術短期大学卒業後、現代美術家コラボレーターとして東京、NYを拠点に活動。2007年、新潟県燕市でSUSgalleryを立ち上げる。15年富山県高岡市の鋳物工場を母体とするブランドNAGAE+(ナガエプリュス)取締役。19年慶應義塾大学経済研究所インバウンド観光研究センター インバウンド観光総研顧問、石川県金沢市の金箔総合メーカー 箔一ブランドディレクター。企業、行政のアドバイザーも務めている。

転機は「9・11」
日本の良さを広めたい

 ――15年間、米ニューヨークで仕事をしていたそうですね。

 鶴本 憧れていたニューヨークで働きたかったのです。女子美短大卒業後に、好きな美術関連の仕事をしようと模索するなかで夢がかない、現代美術のマネジメントをしていました。
 ところが、2001年に起きた同時多発テロ事件で全てが変わってしまいました。自宅がワールドトレードセンターの近くにあり、愛していた地域が一瞬で戦争の渦中に投げ込まれたようでした。命の危険を感じ「このままここで仕事を続けていいのか。これからは日本で自分にしかできない仕事に向き合うべきではないか」と考えたのです。
 ニューヨークを後にし、日本で生きると覚悟を決めました。久しぶりに暮らす日本は何もかもが新鮮で、それまで気付かなかった発見に満ちていました。これからはきちんと日本の良さを世界に発信していこうと決意したのです。  

――日本の良さを世界に伝えることを仕事にしたのですね。

  鶴本 偶然、とある魔法瓶工場と出合う機会がありました。燕市のその工場は、日本で最後の魔法瓶の一貫生産工場でした。縁があって、このメーカーのブランディングに携わることになりました。
 商品の企画開発、デザイン、制作、さらに綿密なマーケティングをして売る――。仕事にまい進するうちに、アートマネジメントのビジネスフローが、日本のものづくりのブランディングにも生かせることが分かってきました。持てる技術を何にどう生かすか次第で道が開けていきました。

 ――ブランディングで重視したのはどのようなことですか。

  鶴本 美と機能とストーリー性を併せ持つ商品を生み出すことです。その一つである真空チタンのカップは、10年に横浜市で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)20カ国の贈答品に選ばれました。町工場の先端技術と日本の伝統文化をつなげる商品作りを評価していただいたのではないかと自分では思っています。

熱いビジョンの共有化
 製品をきちんと売る責任

 ――その後、別のブランドを立ち上げたのは、何かきっかけがありましたか。

 鶴本 前職では自分ができることはやりきった感がありました。当初から複数の工場や他社とも連携して、日本のプラットフォーム・ブランドをつくりたいという思いがあったのです。そこで、15年に現在のナガエプリュスの立ち上げに参加しました。「高岡銅器」の伝統を引き継ぐ鋳造メーカーのナガエと組んで、ライフスタイル製品を企画・開発する子会社を設立。日本ならではのブランドづくりを一緒に目指してくれる人たちとの出会いに恵まれたからです。大切にしているのは製品が今の生活を輝かせること。現在の柱はアクセサリー、美容器具、テーブルウエアです。

  ――複数の工場と組む場合、様々なタイプの職人とのコミュニケーションが肝になりそうですね。

   鶴本 その通りです。仕事は自分のためというよりも、日本のものづくりの発展のためにしているという思いが強いのです。ほんの少し、皆の思いの方向性をそろえることで、道は開ける。日本のものづくりの底力をもっと世界に広めたいという、「熱量を持った」ビジョンを共有できたときに、人は動いてくれます。
 自身でできることだけでは限界があります。特に、職人の仕事は自分には絶対にできない。職人をはじめ、周囲に対して尊敬と感謝の気持ちを持って接することは、当たり前のようですが大切ですね。
 皆が作ってくれた製品をきちんと世の中に出し、責任を持ってマーケットへと導いていく。そうして信頼を得ていくことも必要です。

アイデアの源泉は不変
 技術継承に役立ちたい

――仕事のアイデアの源泉は何ですか。

  鶴本 ごく幼い頃、新しい遊びを次から次へと自分たちで考え出していた体験が原点のような気がします。大分県湯布院の山峡の温泉地で育ったのですが、そこは山あり谷あり温泉街ありのワンダーランド。毎日がエンターテインメントで、年齢が一番下の私はガキ大将の後を必死で付いていったものです。
 ガキ大将というのは、遊びに飽きるとさっと他の遊びに変えてしまう。ルールもその場でどんどん変える。でも、そういうインプロビゼーション、即興が常に新鮮でとても楽しかったのです。
 仕事でも、変化やインプロビゼーションを楽しむ姿勢は大切で、それがアイデアの源泉になっているように感じます。

 ――今後目指すことは。

  鶴本 日本の優れたものづくりの技術をつないで、世界ブランドをつくりたいというのが変わることのない人生の目標です。例えばエルメスのように、スカーフから家具まで作る、世界中の人が憧れるようなブランドです。エルメスのフランス国内の職人は絶えることなく技術を革新してそれを伝え、逆に増えています。特に若手の職人が非常に多いのが特徴です。
 日本ではそのようなブランドはまだありません。今の時代に寄り添い、伝統と先端技術をつなぎ、ありそうでなかったブランドを日本のものづくりを通して世界に向けて発信する――。日本の職人の技術継承につながり、職人や工場、市場も発展、よい流れができるのではないでしょうか。そのために今までの経験を生かしながら新たな挑戦をし、成長しつづけていきたいと思っています。

→前回の掲載はこちら